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経済は目的か、それとも手段か?

2021.12.11
経済は目的か、それとも手段か?

経済は目的か、それとも手段か?

この表題がとても良い問いだなと思ったので、思索したことを記事にしたいと思います。

人は、毎日働くための目的をいろいろと考えることがありますね。

企業で働く人は、何度か思うことがある「私は、なんのためにここで働いているんだろう?」という漠然とした虚無感。

自身がとても辛いことがあったり、やる気がでなかったり、そういう場面でなくとも

「この仕事の行き着く先は、ほんとうに人を幸せにしたり、社会に貢献したりするものなのか」と疑問がわくこともあります。

そのとき人は、給料をもらうためだとか、家族のためだとか、誰かとの約束を守るためとか、自分が設定した目標のためだとか。いろいろな目的を頭に浮かべて、自分に了解を求める。

成熟した世界での経済成長を考える

経済のなかで「良し」とされること

ここで、ひとりの個人ではなく「大きな社会システム」の流れを考えてみたいと思います。

私たちが居る世界では、売上・利益を伸長・成長させることや生産性を増やすことを、おおむね良しとされる価値観があります。

これは資本主義のシステムとして必然のようです。資本主義という大きなシステムは、「経済的利得の最大化」と、それを生み出すシステムの効果的運用を目指す。

 

例えば、ひとりの個人が畑でだいこんを育ててそれを売って生計を立てようとする。

そうすると、その畑で獲れるだいこんの「経済的利得を最大化」するようにまわり(システム)が駆動しはじめる。

畑の肥料や種の入手はできるだけ安く仕入れ、畑の開墾や草取りはできるだけ効率的に機械や除草剤でやろう、みたいに。

だいこんの育成が芳しくないとさらに肥料を足したりして、良く売れるようにスラッときれいにのびただいこんが育つように工夫する。

売るときには、より大きい利幅で仕入れてくれる業者を探すようになり、商品をさばくのに効率が良い大量に仕入れてくれる業者に売る、みたいな。

だいこん経済

だいこんも経済システムにのるしかない?

 

 

だいこんを育てたひとの意思がそんなシステムには乗りたくないと思っていたとしても、だいこんを育てて生計を立てるために(給給料をもらうためだとか、家族のためだとか、誰かとの約束を守るためとか、自分が設定した目標のため)そのシステムにあらがうことはとても難しい。

畑の土地を借りていたり、銀行に借金があったりすると尚さらだ。

ここでは農業という1次産業を取り上げてみたけれど、2次や3次産業(製造業,建設業、金融業,不動産業,運輸通信業など)は、関わるステークホルダーが多い分、このこの大きな力に抵抗することはもう無理め。

 

 

人は豊かな気持ちで幸福感を抱きながら生活をする。そのために経済がある。

GDPを上げて成長をし続ければ、多くの人にとっての幸福感を抱かせることがし続けられるかもしれない。

でも、でも最大公約数としての幸福感を追い求めるかわりに、その人だけの大切なことが置き去りにされてしまってはいまいか。

 

例えば、

健康的なおいしいだいこんを作ってたべてもらいたいとか。

好きな酒蔵の酒をずっと呑みたいとか。

好きなアイドルがCDを出せるようにしたいとか。

人情味ある駅前商店街を継続させたいとか。

普遍的ではないけれど、ある一定数の人が大事なこと。

 

そこで、立ち止まって考える。

「なんのためにGDP(労働生産性)を上げるんだっけ?」

人が豊かな気持ちで幸福感を抱きながら生活をする。そのために経済がある。

そう考えると、たとえ小さなことだとしても人が大事だと思うことを無碍にはできなくなるはずだ。

人が大事だと思うことを拾える世界

労働が商品に、そして商品がお金に見えてくる錯覚

本来、労働したすえにが商品がつくられ、その商品がお金に交換されるという価値の等価交換をするものです。

だけど、その等価交換のどこかに不等価を意図的につくりだし、お金儲けをしようとすることが多々おこります。

例えば、転売や土地ころがし、金融投資など、労働せずにお金の不等価があらわれ(つくりだし)、結果お金儲けをする。

こういうことを考えだすと、商品(だいこん)がお金に、土地もお金に、お金(資本)もさらなるお金に見えてくる。

こういうのをマルクスの資本論で、「物象化」というそうです。商品それ自身が価値を持っているかのように勘違いする商品の物神崇拝。

だいこんもお金に見えてくる?

だいこんがお金に見えてくる?

本来であれば、労働による生産物に「使用する価値」が宿り、それが社会(人間と人間の間)のなかで使われることで、感謝の気持ちだったり、安心感や満足感だったり、自分らしさを彩ったり、そんな感性的な価値が生まれてくるはず。

こういったお金に換算できない感性的な価値が、経済のなかでは数値化できないがために置いていかれそうになっています。

これが資本主義の限界とも言えるかもしれません。

 

 

 

発酵にはそれなりに時間がかかるが、大切だと思うことをやっていきたい

経済合理性だけを考えるならば、もしかすると私たちがやっている木桶を使った醸造方法は淘汰される運命なのかもしれません。

合理的に発酵を促して合理的に生産して、全国に届けられるように保存性を担保して効率的に運送するほうが利益が出しやすいかもしれない。

でも、私たちはそれをやらない。

なぜなら、大切にしていることがあるから。

それは、

 ・不二家を美味しいと言ってくださるお客様の声に応えること。

 ・先代から受け継いだ大切な工程を守り、味を守ること。

 ・そして、日本の醤油、発酵文化を引き継ぐこと。

発酵には時間がかかる

発酵には時間がかかる。インスタントな世界ではない。

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