生きものは、利き手を持っている。 選んだ理由は、まだ誰も知らない。
── 二十年前の書評の余白から
一、両利き
自然界の力は、右にも左にも肩入れしません。素粒子のふるまいも、電磁気の作用も、鏡に映しても崩れません。鏡に映した自分の顔は、右と左が入れかわるだけで、別人には見えません。それでも物理法則は、そのどちらかを選んだりしません。コインを投げれば、五分と五分。自然の力には、それとおなじ気前のよさがあります。
物理学ではこれを、パリティ保存の法則と呼びます。
自然という、両利き。
けれど、地球上の生きものだけが、片方の手しか使いません。
二、利き手
生きものの体のなかにあるアミノ酸は、ほとんどが左型です。
試験管のなかで化合物をつくれば、右型と左型は、ほぼ同じ数だけできます。好みなどありません。生きものの内側だけが、違います。人の九割ほどは、右利きだといいます。けれど体の中の分子は、その逆の手で書かれています。
理由は、まだ誰も知らない、その利き手。
地球の自転のせいだという説があります。地磁気の向きのせいだという説もあります。ただの偶然だという説さえあります。どちらにせよ、一度その手で書きはじめたら、生命はもう、利き手を変えません。
三十数億年、ずっと同じ、その手。
三、鏡
右型と左型は、同じ原子、同じ重さ、同じ角度でできています。鏡に映したように、形は完全に対応します。
けれど、味が違います。匂いが違います。

スペアミントと、キャラウェイは同じ分子の、右型と左型。
スペアミントと、キャラウェイ。まったく別の香りに思えるこの二つも、じつは同じ分子の、右型と左型。
これを見つけたのは、パスツールでした。
右の靴を左の足に履かせても、形は同じなのに、しっくりきません。分子にも、同じことが起きます。舌という靴に、右の分子と左の分子は、同じようにはおさまりません。
では、蔵の旨みは、どちらの手でできているのでしょう。
四、傾き
利き手は、体の一部だけに出ます。
キリギリスの羽の重なりは、左右で違います。フクロウの左右の耳は、高さが違います。クジラの頭蓋骨も、ロブスターの鋏も、左右非対称です。体の大部分は対称のまま、ある一点だけが、片方に傾いています。
両手を持ちながら、いつも使うのは、片方だけ。
生きものは、全部を非対称にはしません。必要なところだけ、そっと利き手にします。

キリギリスの羽の重なり、フクロウの左右の耳、クジラの頭蓋骨、ロブスターの鋏も、左右非対称
五、旨み
醤油と味噌の旨みは、アミノ酸でできています。調味の基本を、味礎といいます。
そのアミノ酸は、左型だけしか、生きものの中にありません。もし鏡の向こうの、右型だけでできた大豆と麹があったなら、できあがる旨みは、いまとは違う味になります。同じ原料、同じ手間、同じ時間をかけても。
麹菌が大豆と小麦をほどき、酵母が時間をかけて色と香りをつくります。二年、三年と桶の中で待つあいだ、変わらないのは、その片方の手だけ。
この蔵で百三十年、仕込み続けてきた旨みは、たった一方の手に依っています。
両利きを選んでいたら、なかった、この味。
六、待つ手
移動する生きものの体は、左右対称です。
人も、魚も、犬も、獲物を追うために、前と後ろ、右と左を持ちます。まっすぐ進み、向きを変える必要があるからです。
けれど、獲物を待つものは、そうではありません。イソギンチャクは体の中心から放射状にひろがっていて、どちらから来る餌にも、同じように応えられます。
麹も、酵母も、待つ側。
桶のなかで動かず、ただ、もろみが変わっていくのを待ちます。
外は、変わっていきます。気温も、日射しも、蔵の外の時間は、絶えず動きます。桶の中だけが、動かない場所として残ります。
待つものが、動くもののための利き手を、書いています。

獲物を待つものは、放射状に広がる。麹菌も同じ待つ側。
七、一手
杉の桶は、丸いのです。上から見れば、どこを切っても同じ形になります。器は、両利きです。
そのなかで毎日、表面を変えているもろみは、二度と同じ顔を見せません。
器は両利き、もろみは片手。
生きものは、利き手を使って、工夫して、生きてゆきます。 百三十年、変えてこなかった、この一手。

器は両利き、もろみは片手。
参考
- マーティン・ガードナー『新版 自然界における左と右』
- 黒田玲子『生命世界の非対称性―自然はなぜアンバランスが好きか』(中公新書)
- 『和食ことわざ辞典』(4)
- マックス・ベネット『知性の未来 ― 脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』

